
6月4日早朝、こいし君は天国に行きました。
6歳と8ヶ月という短すぎる人生(?)でしたが、
こいしは飼い主にも恵まれ、とても幸せだったことは間違いありません。
悪性リンパ腫と診断されてから4ヶ月、こいしは健気に病気と闘いながら
本当に良く頑張ったと思います。
こいしに溢れんばかりの愛情を常に注いできた飼い主さんたちの悲しみや
喪失感の大きさを考えると、自分にも経験があるだけに
どんな言葉も無力で虚しく思えてしまいます。
古い話になりますが、こいしを拾ったのは私です。
当時住んでいた家の前の駐車場に石ころのようにうずくまっていた仔猫が
こいし君との出逢いでした。多分生後2ヶ月くらいだったと思います。
思わず外に出て近づくと野良猫らしく逃げるのだけど後ろ足を
引きずっていてちょっと心配でした。
しばらくはご飯だけをあげていたのですが、近くに母猫がいる様子もなく
怪我が良くなる風でもないので、捕獲を決意して出逢いから一月後、
こいしを捕まえることが出来て獣医さんに連れて行きました。
ちびっ子だけど目つきが鋭くノミだらけで、怪我も思った以上に酷かったこいしは
獣医さんに「難しいかもしれませんよ…。」と言われたにも拘わらず
何度も生命の危機を乗り越えて見事に退院。
その日から一緒に捕獲したSさんの猫になりました。
文字通りの「猫かわいがり」ぶりには私も珠(猫)も呆れるほどでしたが
こいしはおかげでのびのびとすくすく成長したのだと思います。
こいしが3歳になる頃、引っ越しで離ればなれになりましたが
Sさんと一緒のこいしの事は何も心配していませんでした。
今の家に引っ越して9〜10ヶ月後に珠は亡くなりました。
3年前のことです。珠は13歳と9ヶ月でした。
フランスに住んでいるときに珠をもらい、それからずっと一緒だった珠を
亡くした心細さは、どう表現したらいいのか判らないくらいのものでした。
私は私の最大の味方で最大の支えを失った、と思いました。
当時、ちょうど「お菓子な人生」の撮影とエッセイを1週間後に控え
ホント、私大丈夫…?!と途方に暮れたものです。
少しずつしか悲しみは癒えないし、不在にも慣れません。これはどうしようもないです…。
どんな慰めも励ましも純粋に嬉しくて、有り難いのだけど当時の私の心には届かず
心はただただ「たんちゃんに会いたい、会いたい。会いたい。」
と悲鳴を上げているような感じでした。
最初は見つける度に号泣していた珠が「ここにいた痕跡」(抜け毛とかが洋服やタオルに
付いているのです。)でしたが、次第にしみじみとじんわりと嬉しいものに
変わってきました。これも時の魔法でしょうか?
つい先日もフランスの料理書を読むために、フランス語の辞書を開いたら珠の毛を発見。
「あぁ、フランス語に苦労していた頃も珠は私の膝の上にいたんだなぁ。」と
嬉しくなりました。
こいしには会うと別れ際に私は「また来るからね。またね。」と声をかけていました。
こいが亡くなる前日にお見舞いに行ったときも「またね。」と言いました。
上手く説明出来ないけれど、私はいつかまたきっと珠やこいしに会える気がしています。
この世かあの世か、来世か…難しいことは解らないけれど、そう思うことにしています。
だからね、こいし、またね。また遊ぼうね。